8月30日に旧ソビエト連邦の元大統領、ミハイル・ゴルバチョフ氏が亡くなったというニュースが飛び込んできてびっくり。
91歳だったのですね。かなりのご高齢ですが、特にロシアで90歳以上とはなかなかいないのでは?
ところで、私がドイツに来た時はまだソ連だった時代。ベルリンの壁が崩壊されてゴルバチョフ氏の名前もかなり有名になった頃。
そして、東西ドイツが統一してから1年後、ソ連が解体する直前の1991年にアエロフロート・ソ連航空に乗って日本に一時帰国したことがありました。
30年ほど前のアエロフロート航空の思い出
当時はフライト代が結構高くて、手頃なのは大韓航空とかアエロフロート航空。
フランクフルトから成田往復のアエロフロートに2往復乗ったことがあります。
流石に思い出深いフライトとなりました。
(今のアエロフロートはかなり改善されているようです。少なくとも2019年にアエロフロートに乗った友人は結構快適だったと教えてくれました)
食事が簡素だと聞いていたけれど、結構よかった
これは、フランクフルトから、と成田から積まれた食事を食べたからかもしれません。
多分モスクワで載せられた食事も食べていて、あまり美味しくないものがあった記憶はあるのだけど、もっとひどい食事がでてくると思っていたからか、食事に対しては嫌な思い出がない。
初めてアエロフロートに乗る前に聞いた話では、キュウリが丸ごと出てくる、とか、パンにバターだけ、だけど、キャビアが出てきた、と言った噂を耳にしていたので、バッグにクッキーを一箱忍ばせていました。
食べれるものがなかったらどうしよう、と思ってお菓子を持って乗ったけれど、
私が乗った飛行機の機内食は、まあまともだったわ。
トイレットペーパーが酷すぎた
この時は本当に男性でありたかったです。
トイレにいったら、ガサガサゴワゴワの汚い紙しかなかった時の絶望感。
「流せるティッシュ」を持参したかったわ。
物の見事にスーツケースから消えたもの
毎回、日本からドイツに戻る時は「これでもか!」と、出来るだけ多くの物を運んでいます。
ドイツではなかなか手に入れられない食品とか本とか服とか、おもちゃとか、雑貨とか・・・
機内預け荷物制限のギリギリまで運んでいたわ
その時も自宅に帰るだけだから、とスーツケースに物をいっぱいに押し込んでいました。
ポーチに入れて分けていた、とか、全くなしに、詰めまくった、という感じで。
ロストバゲージもなく、すぐに自分のスーツケースは見つかり、ドイツの我が家まで自力で運ぶ。某黒い猫さんのように空港宅配便って便利なサービスはないドイツ。
我が家について、くたくたに疲れていて、とりあえず就寝。
翌日スーツケースを開けようとすると、番号合わせの鍵がかかっていない!
けれど、あまり不思議に思わなかったの
まさかスーツケースの鍵を壊されていたと気づかず。スーツケースの外見はまともだったし。一応ちゃんと閉まっていた。
中に入っていたものを片付けて、数週間もたったある日。
「そういえば、おばさんにイミテーションだけど、とデザインの素敵なブローチをもらったなあ〜あれ、どこだっけ?」
綺麗な化粧箱に入ったブローチ。ブローチって私は滅多につけないのですが、その偽の真珠のついたブローチはデザインがとても洒落ていたのです。
イミテーションだからスーツケースに入れて預けてしまっていいや〜と思ったのが間違い!
スーツケースに化粧箱は入っていたので、その箱のまま、中身を確認せずにいました。
で、この時初めて箱を開けたら・・・
ない!ブローチだけない! (箱はあるのに)
よく考えると、この時スーツケースには知人お手製のレザークラフトのブレスレットも入っていたし、アーミーナイフも入っていた。
のに、このブレスレットもナイフもない!
忽然と姿を消していたわ
衣類とか本とか食料品は全てあったけれど、アクセサリーとナイフだけ姿を消していました。
あれだけごちゃごちゃと色々な物を押し込んでいたスーツケースから。
そして、スーツケースの鍵が壊れていたのを、後日またそのスーツケースを使おうとした時になって、発見・・・
鍵を壊されていたのにすぐに気がつかなかったのもどうかと思うけれど、
それくらい、ものの見事にやられていたわ
3年前にアエロフロートでモスクワに飛んだ友人は、こんな経験をしていません。念の為。
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