連休中のshirousagiです。
お出かけの予定は全くありませんが、ありがたいことに良いお天気に恵まれて、のんびりと過ごしています。
そう、ただいま絶賛4連休中!なぜ4連休になっているかは、昨日のブログ記事で紹介しました。
今日はこれをアップする10月31日の「宗教改革記念日」について、そして、5年前の2017年の10月31日について紹介します。
10月31日は宗教改革記念日(Reformationstag)
宗教改革といったら、ここはドイツです。そうです、あのマルティン・ルター(Martin Luther)です。
ドイツ東部の街ヴィッテンベルクの大学で神学を教えていたルター。
彼は当時の教会のやり方に不満でした。
不満だったのはルターだけではなく、実は学生も教会のやり方に不満。そこで・・・

学生も教会のやり方に不満があるのなら、皆で話し合おう!
そのためにはまず論題を掲示して知らせなくては!
そうだ、教会の扉に論題を書いて貼り付けよう!
こうして貼られた「95ヵ条の論題」がきっかけで、宗教改革が!

ローマカトリック教会から分離して、プロテスタントが誕生したのよ
この「95ヵ条の論題」が教会の扉に貼られたのが1517年10月31日だったのです!
なぜ当時の教会のやり方に不満だったの?

当時のカトリック教会では贖宥状(免罪符)が売られていたのですって。
免罪符って、これを買えば罪が許される、とするものよね。
当時16世紀には、カトリックの総本山である「サン・ピエトロ大聖堂」建設への献金にするために大量に売られていた「免罪符」。
ドイツの司教や諸侯は、ローマ教皇庁への心証を良くしよう、と利権を求めて、この免罪符を売ることに協力的だったのです。

救われるのは 聖書を読み、神に祈ることのみであって 贖宥状で罪が許されるようになるわけではない!
こうして、ルターが大学でディスカッションするために貼られた「95ヵ条の論題」が元で宗教改革が起こり、プロテスタント教会が誕生しました。
2017年10月31日は記念すべき日だった
このプロテスタント教会が誕生するきっかけになった「95ヵ条の論題」が発表されてから500年がたった2017年10月31日。
この日はドイツ中が祝日となり、舞台となったWittenberg(ヴィッテンベルク)には当時の首相メルケル氏も来られるなど、大イベントが行われました。
2017年10月31日のヴィッテンベルクの様子
私は、このヴィッテンベルクという街に何度か足を運んだことがあります。「95ヵ条の論題」が貼られた教会にも行ったことがあるのですが、この記念の時2017年には行っていません。
が、友人がこの街に出かけて、イベントの様子を報告してくれたので、ここでシェアします!
(これらの写真は2017年に元祖「ドイツに住むうさぎより」にアップしたのですが、元祖のブログは閉じてしまったので、今回、ここに再記録します)

ヴィッテンベルクという街はザクセン=アンハルト州の人口5万人ほどの小さな町よ。
今はこの街には大学はないけれど、当時はあったのね。

この日、大勢の人が向かっているのは「95ヵ条の論題」が貼られたというSchlosskirche(ヴィッテンベルク城教会)。
教会まで小川が流れ、川に沿ってまっすぐな道が続いていて、お店が並んでいるのですが、普段はこれほど大勢の人を見かけることはありません。

ヴィッテンベルクにはもう一つ教会があり、これはStadtkiruche(町の教会)と呼ばれている「聖マリエン教会」。
塔が二つあるのが目印です。この教会の前には市庁舎があります。
この広場には屋台などが出て、当時のコスチュームを着た人もいたようですね。

こちらはその聖マリエン教会がライトアップされているところ。


夜にはレーザーでイベントを盛り上げたようです。
大騒ぎでディスコなんぞしていたのかな??

博物館内では ロボットがペンで聖書を書き写していたそうです。さすが21世紀。

聖書を書き終えるまでに数ヶ月かかる、と聞いたのだけど、あれから5年。
この聖書の書き写しはどうなったのかな?
競売される、と耳にしていたけれど
ルターは「聖書」をドイツ語に訳した(それまではラテン語だった)のでも有名ですね。

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