シニア世代に入ろうとしているこの私、最近は残りの人生をいかに楽しく過ごすか?ということをよく考えています。
そんな本日読んだ本は1932年生まれのシスターである鈴木秀子さんが書いた本。
この本の中で「ハッ!」としたことがあったので、今回はこれをシェアします。
大事な人が逝く時
先日、ドラえもんの声でお馴染みの大山のぶ代さんが亡くなられたというニュースが入りましたが、なんと90歳だったそうでびっくり。
日本を出てから30年以上が経過している私には、ドラえもんの声といえば大山のぶ代さんの声です。
余談ですが、大山のぶ代さんがドラえもんの声優3代目で、1979年から2005年まで担当していたというのも今回初めて知りました。いや、そもそもドラえもんが1973年からアニメとして放送されていたって、意外。(自分が生まれた頃から有るような気がしていた)
…は、ともかく、人が亡くなると悲しいことです。もう長くない、という知らせを聞く時もとても悲しものです。
鈴木秀子さんも「大切な人が亡くなった時は泣きたいだけなく」と書かれています。
が、それとともに
「逝かないで」は執着。「ありがとう。安心して逝って(You may go.)」と声がけを
これにちょっとハッとしたんです。
若く、本人もまだまだ生きたいであろうに病気等で亡くなる場合は別ですが、もう人生を十分に生きた高齢の方が逝く時、「逝っちゃ嫌だ〜!」と騒ぎ立てるのは執着だというのは、確かに。
まだまだ平均寿命には到達していない私だけど、まだまだ生きるつもりだけど、なんとなく人生には終わりがあって、いつか
「もう私の人生は幕を下ろす時が来た」
と思う時がやってくるのではないか、とぼんやりと理解している自分がいます。
自分が生きてきた目的や役割を全て果たした後はゆっくりとあの世に逝きたい。ここで「逝くな!」と言われても、と。
わたしは将来月に行って、これまで我が家にいたウサギたちと遊ぶ予定だけど
義父が亡くなった時
話が少々ずれてしまいますが、家族や親戚、友人などよく知っている人が亡くなった時に「よかったね、楽になったね」と思うことってありませんか?
私には経験があります。それは義理のお父さん。夫の父です。
とても優しい方で事実上は「婿養子」。妻である、私には義理の母にあたる人にとても遠慮をしているような人でした。
義理の母が悪いわけではありませんが、とても我慢をして人に気を遣っているのがわかって、「人生、辛くないのかな?」と思っていたのです。
まだ70代でしたが、その義父が末期の癌だということがわかった時、亡くなった時、私が思ったのは「もうこれで我慢しなくていいね。よかったね」だったんです。
義父の子供は皆独立していていて、父親としての役割は終えていました。
言葉はやはり「ありがとう。安心して」だ
アラカンの友人が多いので、周りでも「90歳の父が重病で悲しい」と言ったような内容のことを耳にします。
確かに悲しい。大事な人がもうすぐいなくなるかもしれないと思うと悲しい。
でも、ここでジタバタせず、もうすぐ逝ってしまう人に「ありがとう。安心して逝って!」と言えるような関係だったらどんなに素敵でしょう。
私の番になったら、長い時間寝たきりで生きるより、「おかげで私は一人で生きていけるようになったよ」と思われた方が嬉しいな、と。
とは言っても、30歳で危うく死にかけた時
「(君が死んでも)大丈夫、僕がちゃんとするから」
と言われた日には…張り倒してやりたいと思ったわ💢
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