先日、Xで「舌が肥えると損をする」というポストが話題になっていました。
この「舌が肥える」をどのように解釈するかは人によって違っているようで、様々な意見がネットに溢れていました。
私はこの色々な意味に解釈をされてしまう「舌が肥えると損をする」について、短文で、ましてや140文字で表す才能はありません。
が、自分のブログ上なら書きたいだけ書ける(文字数上)ので、今回は食の貧しいドイツに住む私が「舌が肥えると損をする」ということを読んで思ったことを紹介します。
「舌が肥える」ってどういう意味?
まずは「舌が肥える」とはどういう意味なのか?
AIに尋ねたところ
「舌が肥える(したたがこえる)」とは、多くの美味しい料理や様々な種類の食べ物を経験することで、味の良し悪しや微細な違いを瞬時に見分ける能力が高くなることを意味します。食通やグルメな人に対して使われ、味に敏感で、単に美味しいものを食べるだけでなく、味に対して贅沢になる状態を指す慣用句です。
(AIの解答も必ずしも正しいというわけではありません)
美味しいものに出会って、その味を知ると味の良し悪しがわかるようになる、という点では「舌が肥える」(または「口が肥える」)というのは良いことのように思いますよね。
音楽だって、色々な演奏を聴くうちに、演奏家による違いがわかったり、音色の違いがわかるようになったりします。
絵画などの芸術でもそうですよね。
私の場合の「舌が肥えると損」は…
私自身はドイツに住んでいるのもあって、「舌が肥えると損」、というより「舌が肥えると人生がハードモードになる」と思っています。
この私の意見だと「自炊をしないと料理に対してリスペクトがないから舌が肥えている人は自炊しない説」とはズレるので、この説は今回はスルーしています。
(でも結局は…最後に書きます)
私が言う「舌が肥えると人生がハードモードになる」というのは、「美味しいものを知ってしまうとそれより美味しくないものを食べると不満に感じられて、食事に対する満足度が下がってしまう」ということなのです。
特に食の貧しいドイツに来ると、多くの日本人がドイツの食生活にちょっとうんざりします。自分で作る分には良いのですが、病気などで入院した時に、病院食にうんざりしてしまいます。
病院食まで行かなくても、「お寿司が食べたい!」とか「薄切りの肉が欲しい。しゃぶしゃぶを食べたい、焼肉を食べたい!」という願いがあって、それが叶わない毎日が辛いのです。
お金さえ出せばそのようなものを食べることができるのならまだマシ。
お金を出しても売っているところがない時は自分で作るか、諦めるかしかありません。
この世にこんな美味しいものがある、ということを知ってしまうと、それが手に入らない(食べることができない)場合が辛くなるのです。
だから「舌が肥えると損」とも言えるのだと思います。
美味しいものを知っていても諦めることができるか?

私は一応音楽家の端くれなので、コンサートはどんな演奏家の物でも良い、というわけではなくて、行きたいコンサートは選びます。で、音楽だと好みのものがなければ全くコンサートに行かなくても生きていけます。
ところが食事はそうは行かないではないですか!!食べることなく生きていけないですよね。
で、私ですが、幼少期に貧しい生活をしていたからか、ドイツの食生活でも文句なく生きていけます。
とはいえ、大昔にドイツの病院に2か月入院した時は、病院食の貧しさに(あれはもはや貧しさというレベル)気が狂いそうになりましたが。
知らないとなくても困らない
握り寿司をほとんど食べたことがないままドイツに来たので、お寿司がなくても生きていけます。
人生で今だにしゃぶしゃぶを食べたことがないので、しゃぶしゃぶがなくても生きていけます。
「あれを食べたい!」と発狂することがありません。
ところが、美味しいものを食べて育った人には、寿司のない人生はとても辛い、という人も多いようです。
とても美味しいものを知ってしまっても、なければ欲しいと思わない
2年前に初めて北陸の温泉に行きました。その温泉の夕食にお刺身があり、このお刺身がとても美味しかったのです。

こんなに美味しい刺身を知ったら、他の刺身は食べれない!
実際にあれ以来、スーパーのパックに入ったお寿司を見たり、ドイツのお寿司を見ても欲しいと思わなくなりました。
友人らが「このレストランだとお寿司がある!」と言っても私は行きたいとは思いません。北陸のあのレベルのお魚はドイツにはないので。
ここで「あの時と同じくらい美味しい刺身が欲しい!」と思うと実に不経済、人生ハードモードですよね。
ところが「あの時のような刺身でないのなら、お刺身はいらない」。これだと経済的ではないですか?人生が楽です。私はドイツで特にお刺身が欲しいとは思わないのです。(人生最後まで二度と一時帰国ができない、となると意見が変わるかもしれないけれど)
和食の美味しいものを日本でしっかり食べておくと、ドイツでせっせと毎日硬いパンで我慢(?)できるんです。いや、これは幼少時の食生活の貧しさから耐久性が身についているのかもしれませんが。
食事を作ってもらえればどんな味でも嬉しい
ところで、私はレストランの食事、機内食、はてはドイツの病院食まで、座っていても提供してもらえる食事はほとんど残さずにありがたくいただける人間です。
なぜって?そりゃあもう、自分で作らなくて良いのが嬉しいから!そして、自分で後片付けしなくて良いのが感激だから!

だから病院食でも嬉しい!
そして、夫は料理が下手だけど、帰宅したら食事が作ってあると喜びの舞を踊りたいくらい嬉しいです。(味はお世辞にも…のレベル)
帰宅したら食事が作ってあった、ということは滅多にないのが残念ですが。

その昔の東欧に行って実感したけれど、生活レベルを落とすのは思っている以上にハード。
便利な生活を知ってしまうと、もう元には戻れません。(東欧の暮らしは苦しかった)
食生活も同じかな〜美味しいものが当たり前のようになってしまうと、それ以前の生活に戻れない、かも。
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