1990年までドイツは東西の2つの国に分かれていました。ドイツ連邦共和国(西ドイツ)とドイツ民主共和国(東ドイツ)です。
さらに、東ドイツの首都ベルリンは市内が東西に分かれていました。
その東西ベルリンの間にはあの「ベルリンの壁」がたっていたのです。
その「東西分裂の象徴」ベルリンの壁が崩れたのが1989年11月9日。
今日、ふとカレンダーを見ると(といってもスマホのカレンダーだが)本日は11月9日ではないですか!(この記事のアップは日本時間の11月10日だけど)
はやっ!あれから34年もたったのか!(どおりで私も若くないはずだわ)
この日が来るたびに、色々な想いが私の脳内を大運動会のように駆け巡ります。
まさかの出来事にドイツ国民が大喜び!(したはず)
東欧諸国から西欧諸国への亡命が増えていた頃とはいえ、全ドイツ人が願ったとはいえ、まさかあの日にベルリンの壁が崩壊するとは誰も思っていなかったのです。
その時、私はまだ学生で、あるドイツ人家庭にお世話になっていました。
その家庭のお母さんは政治に興味があって、東欧からの亡命者への手伝いもするほどの人。
その彼女でも、まさかこんなに早くベルリンの壁が崩れるとは思っていなかったようで、その日は歓喜の涙。
・・・
それが数週間後には不満の涙に変わったのよね。
どのように育ったかで、人間はなかなか変われない
第二次世界大戦に敗れたドイツ。当時のソ連に占領された東ドイツは共産主義国家となりました。
そのため、簡単に言ってしまうと、会社は全て国家のもの。会社で働く人は全て公務員。
なので、せっせと働かなくても失業しないし、お店が儲からなくても潰れない。
だからマーケティングって何?お金儲けって何?な世界。
失業者がいないって、良いですよね〜せっせと働かなくても適当に勤務していればお金には困らない。
住むところもあって(なかなか手にはいらないけれど)最低限の生活は保証してもらえる。
お金をたくさん稼いだところで、外国旅行はできないし、お店にいってもモノはないからお金を使うこともできない。
だからより良い暮らしを求める気もない。
こんな暮らしで大人になった人たちは「勤勉に働かないと会社をクビになるかもしれない」という気持ちも全くない。
そして、思考力がほとんど育っていない!
そんな東ドイツ人が、壁崩壊のあと「西ドイツに行ったらそれだけで西ドイツ人みたいな贅沢ができるんだ」と西ドイツにどっと押し寄せてきたのです。
そして、どうなったか?
東ドイツ人がこれまでの生活で身につけた性格では、西ドイツでうまくやっていくことが出来なかったのです。(もちろん、すべての人がそうだというわけではない)
そして、西ドイツ人の目には東ドイツ人が怠け者に写ったのです。
西ドイツ人が、仕事もせずに良い暮らしをしようとする東ドイツ人をみて、
キレていたわ
あれから34年たったけれど、まだまだ資本主義経済にうまく順応していない人もいるのよ。
知人に旧東ドイツ出身で、今もその場所に住んでいる人がいるけれど、家業を継いで工房を持っているという手工業者。
なんだけど、東ドイツ時代の経営方法しか知らなくて、もう倒産寸前だと。なのに本人は危機なのがわかっていないらしい。
外国人差別が怖い!
ベルリンの壁が崩壊してから、すぐに西ドイツに「快適な生活」を求めて行った人は西ドイツ住民に嫌われたけれど、壁が崩壊しても東ドイツに残った人は、新しい世の中がどんなものなのかわからなくて恐怖に怯える人が続出。
あまりの恐怖に、そのはけ口は外国人へ。
1989年の年末は特にひどくて、ライプツィヒやドレスデンと言った大都市では、外国人(当時多かったのはベトナム人)が歩いていると、アパートの上から植木鉢がその外国人に向けて落とされた、ということを何度か耳にしました。
実は怖くなって、あれから旧東ドイツに観光には行っていないの
西ドイツで勉強していた友人が、ライプツィヒの語学学校は素晴らしい、という評判を聞いて、壁崩壊後にライプツィヒの語学学校に入学するも、あまりの酷さに精神にダメージを負ってしまって、日本に帰国。
「ベルリンの壁崩壊」って、喜ぶべき出来事だったけれど、本当はそれからのドイツは暗転。ドイツ滞在も困難だったなあ。
そして、今も思うのは「どのような環境で育ったか」で、性格が決まって、これがなかなか変わらないということ。
現在34歳以下の人は東ドイツ時代を知らないはずだけど、それ以上の人、特に東ドイツ時代に教育を受けた50代以上の人はまだまだ「共産主義」で培われたメンタルが抜けない人も多いようで。
(※すべての東ドイツ出身者が上記のような人だというわけではありません。差別をするつもりもありません。ただ、当時のドイツ国内の様子を記したまでです)
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