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ベルリンの壁が崩れて30年〜東ベルリン経験記

ライプツィヒ ドイツの街
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今年2019年はベルリンの壁が崩れて30年、来年はドイツが再統一してちょうど30年になります。
・・・時の流れるのは速いものですね!
私がドイツに渡ったその時は、まだドイツは東と西に分かれていたのですよ。

ベルリンの壁ができたのは1961年8月13日。
ベルリンの壁が崩れたのは1989年11月9日。

今年、2019年の11月9日で「ベルリンの壁崩壊30年」です。

私はこれまで、ブログでは「ドイツに来て四半世紀が過ぎた!」と言っていましたが、実は私がドイツに来た時は、まだ東西ドイツが存在していたのです。ベルリンの壁が存在していたのです。

という事は・・・

ドイツに住み始めて、早くも30年以上が過ぎた!という事です。 はい・・信じられない!

実は、まさか東西ドイツが統一するとは思わず、東ドイツに簡単に行ける日がくるとは思わず、
30年ほど前に、東ベルリンや東ドイツを何度か、ビザもとって訪問した事があります。

東西統一してからはあまり東ドイツ方面に出かけなくなり、また、東ドイツが存在した当時は、あの国でカメラを向けるのは勇気がなかったので、その当時の写真は持っていません。

何しろ東では、カメラを向けたらうっかりシュタージ(Stasi,Staatssicherheit・東ドイツの秘密警察)に文句を言われかねない、という国でしたから。

今思うと、それでも少し残念・・・まあ、デジタルカメラではなかったのですが、せめて、知り合いの家の中とかは写真撮影させて貰えばよかったな・・と少々後悔しています。
何しろ、現在の暮らしとは違ったのですから・・ね。

そんな・・・東ドイツ、東ベルリンと壁に関する思い出を、写真も記録もないので、私の記憶だけを便りに、忘れる前に自分用忘備録として書いておこうと思います。

統一後のライプツィヒ中央駅前

今回は東ベルリン訪問です。

西ドイツから西ベルリンへ入るのは簡単で、私はフランクフルトだったか、ケルンだったかから西ベルリンのZooという駅行きの列車でベルリン入りしました。

東ドイツ国内を列車が通過する時はもちろん、その列車は停車しません。

なので、陸路でも東ドイツの様子を見る事なく西ベルリンへ。
(ライプツィヒに出かけた時はかなり緊張の列車の旅でしたが)

西ベルリンからは「チェックポイント・チャーリー」で東ベルリン入りする事ができました。

チェックポイント・チャーリーがあった場所。今は勿論、自由に行き来できます。

このチェックポイント・チャーリーで手数料5DM(マルク)、強制両替25DM、25DMを1:1で、つまり、25東ドイツマルクに両替すると、東ベルリンへ足を踏み入れる事が可能でした。

空港のパスポート検査のような・・写真は先日訪れたボンにある「ドイツ歴史博物館」の展示物です。

緊張しつつも、しかし、外貨の欲しい東ドイツとしては、西ドイツマルクを持っている日本人は簡単に許可がおります。

この「国境」を抜けると・・・

いきなり、町はスモッグだらけで空気は汚れ、車は前時代もの。

「やはり予想通り暗いな〜〜」というのが実感。

隔てた壁を越えただけで、いきなり街が古くなる、タイムマシンにでも乗ったかのような気分でした。

強制両替の25マルク、東ドイツマルクは西に持ち帰る事は原則禁止。また、持ち帰っても価値がありません。西ベルリンにはそれでも、東ドイツマルクを西ドイツマルクに両替してくれる所がありましたが、1DM手に入れるのに、10東ドイツマルク、とかいったレートです。
強制両替の25マルクは使い切るのが一番!

西ドイツの人に「楽譜とかあるわよ!」と聞いていたので楽譜屋さんを探し、お店に入ると、確かに楽譜はたくさんお店にあるのですが

同じ曲の楽譜ばかり、同じ本ばかりで、種類が非常に少ない!のです。

「チャイコフスキーの交響曲のスコア、ありますか?」
「Nein! ないよ」
「ベートーヴェンのピアノソナタの楽譜は?」
「Nein!」

え?有名な曲の楽譜もないの? だったら、東ドイツで活躍した作曲家ならどうだ?
「バッハのシンフォニアは?」
「Nein!」

それでもお金が余っていたので、お店にあった楽譜で「これならいいかな?」と思う楽譜を何冊か購入しました。

そしてチェックポイント・チャーリーを通過して西ベルリンへ。

本当に共産主義国って、生活しにくいなあ、暗いなあ・・・と思った、初めての東ドイツへの旅でしたよ。

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