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人生は短いとしみじみ思った日、終活をしようと思った日

日記
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昨日の夕方、せっせとブログを書いていたら、珍しく電話が鳴ったのです。

最近は友人とのやりとりは、ご多分に漏れずもっぱらチャット。(LINEは使っている人が少ないドイツだからWhatsAppがほとんどだけど)

「shirousagiさん、こんばんは・・・ちょっと頭が混乱しているから変な話し方をするかもしれないけれど・・・」

どうしたのかな?

「実は・・・・家内が亡くなったんです・・・」

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まだまだ若いと思っていたけれど

え?Yさんが?

電話はピアノ仲間の友人Yさんのご主人から。私はご主人とも音楽仲間でお世話になっていました。

Yさんとはつい先週、久しぶりに電話で長話をしたばかり。ショパンのバラードに取り組んでいるけれど、指が回らなくなったわ・・・とか言いつつ、でも一度はやめていたピアノを再開してご機嫌そうに話していたのに。

もういないの?

考えたら日本人家族のYさんご夫妻とのお付き合いは25年以上。15年くらい前までは毎週のように彼女のところに遊びにいって、彼女のピアノを聴いて、一緒にケーキを食べて、その後キッチンで長話をしていたのです。

それがつい先日のことみたい。

15年前に彼女Yさんがピアノを弾かなくなって、私は週末に忙しくなって、なんとなくYさんを訪問することが減ってしまった。でも、機会があると彼女の家に出かけて(Yさんは車の運転をしないから、移動するのはいつも私の方だった)日本語の本を貸し借りして楽しんでいたのに。

なんとなく、彼女も私も知り合った頃の年齢のままな気がしたけれど、そんなことはありえない。よく考えたらずっと年上のYさんは74歳。天国に逝くには早すぎる年だけど、もうそんな年だったんだ。

自分もまだ40代の気がして、まだまだ命が永遠にあると思ってしまう。けれど、そんなことはないのよ。

気がついたら、いつの間にか私は60代目前だし、彼女は70代だった。

会いたい人には今のうちに、やりたいことは今のうちに

月並みだけど、今回のことで「会いたい人には今のうちに会っておこう。やりたいことは今のうちにやっておこう」と思ったのです。

Yさんと最後に会ってから1年以上経っていた。

毎日が忙しくて、ついつい友人と会う約束をとるのを忘れてしまうけれど、アラカンな私には70歳以上の知人、友人が何人かいるのです。

彼ら、彼女らに明日にでも会えなくなるかもしれない。(私が倒れてしまう可能性だってある)

やりたいことはほぼ全てやり終えたけれど、それでも行きたいところもまだある。今のうちに行っておかなくては!

体調がおかしい、と思ったら

Yさんのご主人によると、実はYさん、体調が悪いことが多かったのに、どうしても医者のところに行きたくないと言って痛みがでても我慢をしていたとか。

「耐えられないほどの腹痛で、救急車を呼んで病院に運ばれた時はもう手遅れだと言われたよ」

もっと早くお医者さんに診てもらっていたら、と。

Yさん、いつも「医者にかかるより、あの世に逝きたい」と言っていたから、本人は納得なのだろうけれど…

体調がおかしい、と思ったら我慢して家に篭らないで、ちゃんと検査に行こう、健康診断にも行こう。

終活を本当に始めようと思った

人生を60年近くやっていると、家族や親戚、友人らの家族が亡くなるということを数えきれないくらい経験します。

人が亡くなると残された家族には沢山の片づけなければならないことがあって、悲しんでいる時がない、とは何度も耳にしていました。

それでも、なんとなく人ごとみたいに捉えている自分がいたのです。

が、電話でYさんのご主人の話を聞いていると、特に外国に居住していた日本人として亡くなった場合の手続きは大変。

手続きだけで気が狂いそうなほど多忙な日を過ごしていて、まだYさんの所有していた物について整理する時間は全くないとか。

私は「終活」としてモノの片付けはしているけれど、もしもの時の手続きは?私の日本語の書類がどこにあるのか、家族はわかっている?

まだまだ元気で人生を楽しむつもりだけど、いつあの日が来ても家族が困らないように、せっせと終活に励もう・・・と思った日でした。

もうYさんがこの世にいないって、全く実感が湧かないのですが。

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