一時帰国して日本で過ごしている時は、普段は見ないテレビを朝からぼ〜〜と見ていることが多いshirousagiです。
まあ、私の一時帰国というのは一種の「休暇旅行」なので、のんびりと過ごす事にしているからなのですが。
朝からテレビを見ていると、「ああ、この番組を通勤準備をしながら見ている人が多いのだろうな」と思います。
で、朝早くの番組でよくあるのが「占い」ですね。もっとも私はここ1年以上一時帰国をしていないので、今はあまりやっていないのかもしれませんが。
星座占いなど、今日1日ラッキーな人は「獅子座の人」などといった占い。そして血液型占いも朝からよくやっていますね。
この血液型、日本以外では重視されていないのは、結構知られていると思います。
ここドイツでも血液型によって人の性格や運命を占う、といった事はやっていません。
私の子供はもう成人していますが、幸いにも今まで事故に遭ったり、大病をしたりする事がなかったので、いまだに自分の血液型を知りません。(親がそれぞれ自分の血液型を知っているので、多分この血液型だろう、と予測はついていますが)
生まれた時も、小学校に入学した時も、血液検査はありませんでした。
献血すればわかったのだと思いますが。
私は過去に輸血が必要な大手術を受けた事があるのですが、その手術の前に採血され、(一応血液型は病院に知らせましたが)血液型を特定されてから手術が始まったようです。
それくらい、血液型は大事だけれど、それは輸血や献血といった、他の人の血液と混ぜる(?)時のために必要、といった感じで、血液型によって、人の性格を分けるためではありません。
大体、A,B,O,AB型といった、たった4種類の血液型で人間の性格をカテゴライズするって、おかしな話だと思っています。
血液型占いを読む、信じるのは人それぞれで、それはそれで個人の自由ですよね。
私も雑誌に載っている血液型占い、星座占い(これはドイツの雑誌でもよく見かけます)は暇な時など読んで、一喜一憂しています。
まあ、大抵、良い事は信じて、悪い事は読んだその場で忘れる様にしていますが。
が、時々、「これはおかしいのではないの?」と思うのは
血液型で人をカテゴライズする人、です。
よく言われるのは「B型の人は変わっている」ではないかと思うのですが、だからといって、B型の人を見るたびに「ああ、あなたは変わっている人」だとか、決めつける人をたまに見かけます。
「私はA型だからB型のあなたの気持ちなどわからないわ!」とか。
占いで「今日はAB型の人はラッキー」などはまあ、一種の遊び、と思えば腹も立ちませんが、
「あなたはA型だから几帳面。B型とは意見が合わない」などと勝手に人の性格を決めつけるのはどうでしょうか?
その人の本当の長所や短所を知る事なく、血液型で「あなたはこう」と決めつけ、その偏見でその人と付き合う、といった人を見かける事があります。それは一種の偏見差別ではありませんか?
一般論として、「A型の人は几帳面だと言われているよね〜」というのはまだ許せます。
しかし、「あなたはB型だからこんなのわかんないわよね」といった個人を特定しての決めつけ。
科学的にも血液型で性格が決まるとは裏付けられていないようです。
私の個人的経験からも、これまで知り合った人で血液型を知っている人を思い浮かべても、血液型で性格が決まるとは全く思えません。
私の周りには(日本人限定にしても)B型の人で几帳面な友人もいるし、A型なのに、ズボラで汚部屋の持ち主もいますよ。
ところで、朝早くの通勤前のテレビ番組で「占い」をやっているのもどうなのかな?と思うのは私だけでしょうか?
忙しい朝、だけれども、脳は一番調子が良い時間、大事な情報収集にあてた方が良いと思うのですが・・・(当たるとは思えない占いよりも)
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