雨が上がった今日の午後、久しぶりに介護施設に入居している友人Eさんを訪ねてきました。
彼女はもう70代の半ば。数年前に脳内出血で倒れて半身麻痺になり、介護施設に入居しています。
普段は1日中施設内にいるためか、私が行くと近くのレストランやカフェに行きたがり、今日も彼女の車椅子を押しながらカフェへ。
ハーブティーを飲みながら他愛もない雑談をして過ごしたのです。
Eさんは元プロの演奏家。友人、知人にも演奏家の方がたくさんいます。その友人、知人もほとんどが引退していますが、中にはまだ元気で演奏活動をしている人も。その中の一人はウィーンの地下鉄の駅で演奏しているのだとか。
いわゆる路上ライブです。
その地下鉄の駅で演奏していた人の話では
「日本人はお金をくれない!」
Eさんに「どうしてなの?」と聞かれました。(Eさんはドイツ人)
この話は10年以上前のはずです。今は日本でも路上ライブが増えてきたので、人々の反応は10年前とはきっと違うとは思うのですが…
入場無料のコンサートにお金を払いたがらない日本人
10年ほど前、とあるピアニストがチャリティーコンサートを開催。入場は無料だけど、帰る時に寄付を集めます、という趣旨のコンサートでした。
こういった、入場料は無料、コンサート後に各自が任意の金額を払う、というタイプのコンサートはよくあります。
どこかの団体などへの寄付になったり、演奏者のギャラになったり、色々〜
私はそのコンサートでコンサート会場の出口に立って、募金箱を持って寄付を集めていました。
コンサートは日本人演奏家がメインで開催されたもので、お客さんも日本人とドイツ人が半々。
日本人客もドイツ人客もほぼ同数だったのに、寄付の金額には大きな差が出たのです。(諸事情あって、ドイツ人が多かった時と日本人が多かった時の2回公演だった)
そう、圧倒的にドイツ人の寄付金額の方が多かったのです。日本人の中には募金箱の前をコソコソと逃げるように去った人も。(任意なので、寄付をしなくても良いのですが)
これは実は予想していたことなので、驚きには値しなかったのですが、Eさんのウィーンにいる友人の話を聞いて、「そうなんだよね…」と思い出してしまいました。
世界には日本人以上に
このような寄付にはお金をケチる人が多い人(国?民族?)もいるけれどね
形の残るものにはお金を払うけれど
私はEさんの質問に(特にデータがあるわけではない、私の推測で)
- チップなどの習慣がないから、「素敵な演奏をありがとう!」と気持ちをお金で払おうと思いつかない
- モノとして手元に残らないものにお金を使うのがもったいないと考える人が多い
- 任意なので払わない人もいるのに、なぜ私が払うの?と不公平感がある
この3点が理由ではないかと答えました。
特に「手元にモノとして残らないもの」にはお金を払うのに抵抗がある人が結構いるのではないかな?と。しかも任意となると、「払わない人もいるのに、払った人は損」と思うかな、と。
私が全くそのようには思わない、とは言いません。「あの人は全くお金を払わないのに、私は払うって、損だ〜!」と思ってしまいます。
経済的に本当に苦しい時なら仕方ない。でもせめてコンサートに来れるくらいなら、少しでもいいから寄付したい。
感動した演奏に出会ったら、感謝の気持ちを何かの手段で表したいですよね。
何にお金を使うと幸福感が増すか、という調査で「寄付をする」と幸福感が増すということがわかっていて、この事実も最近は結構知られている(多分…)ので、素敵な演奏や素晴らしいサービスを受けたらチップを渡す人も増えたかな?
哀れみと同情でお金を渡すのは…あまり関心しないこともよくあると思うのだけど、感動したり感謝することがあったら気持ちとしてお金を払ってもいいんじゃない?
そして、形あるものとして手元におけるモノ以外でもお金を払う価値があるものにはお金を使えば、家の中も散らかりにくい…かと。(あ、これは余計か?)
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